2010/05/31

5月31日(一) 全家開會

題目

1:分享
陳老師之學生作品說明
學生:四位
關鍵題目:互動設計
互動是甚麼,概念,過程
個人感想:普普通通的,,,
開會目的有點模糊。
聽說下次開會時分享別組(其它研究室的研究內容)

2:說明
畢業設計
陳,馬老師
今年的方向
老師們想要開放或推動使用研究生的研究論文,資訊。
希望深一點的研究思考應用到畢業設計
需要分享需要團體的重要性

2010/05/23

紀錄成果-民權路-南面

紀錄成果
民權路-南面

研究方法-2

我對民權路的看法有幾個?
1,民權路的路線造型來源是從哪裡來?
2,為什麼還存在小巷子?
3,以都市計畫的觀點來看巷子是不規制近代都市的原理,那麼小巷子的存在意義?
4,看板對建築物的比例?
5,我認為日本人對古蹟及巷子的存在?

2010/05/20

自転車企画

20インチ
Tiagraグレード
ノンフォールディング
レクレーション用途
東南アジア向け
20000

2010/05/19

Dialogue2003年8月

我終於找了對於台南市的資料。
不過對於民權路的內容幾乎都沒有。
還是去外面看看比較好的。

明早去繼續觀察。

2010/05/10

魅力のある仕事

短期決戦型の経営
長期目線の経営

間違いなく私は長期計画を持った、息の長い仕事に就きたいと考えている。
仕事はお金を稼ぐのが目的ではなく、ひとりが社会に参加して奉仕するのが
原則であると考える。
すべての事象に対して決然と立ち向かい対処して、人と人との信頼関係を構築する。

失敗から学ぶことを基本として頑張ろうと思う。


気になった名前:蔡衍明

2010/05/09

必要工具

手畫
收集資料
觀察能力
各softwere(PhotoShop,Ill,Indesign,3Dsoftwere,Flash)

不會的透過暑假實習學到。

夜間練習

5月7日
宿舍-高鐵台南站
高鐵台南站-T字路*2次
高鐵台南站-長榮大學-宿舍

19:00-22:00
56km

尋找問題

目前在這裡發生的事件是甚麼
a,氣候變化
b,農作物過少、過多的不平衡
c,高齡化
d,少子化
e,年輕人的工作機會(有是有可是他們選內容)
f,技術與經濟的不平衡
g,太追求效率化

想要設計的東西

腳踏車(不是折的):自己的興趣 有認識的腳踏車公司
高齡者用品:哪一個程度的,還沒決定
障礙者(盲目):幫助的用品
旅行用品(登山包):
日常用品:哪一個方面,還沒決定
清潔整理用品:改善行為的,因為我就是

2010/05/01

最近恒例のコース

今までの跨線方法は自転車を一旦降りて、陸橋を歩いていたがクリートが傷つくので、今回は路竹駅まで回り道をして跨線した。日差しが強いと体力の消耗が激しい。




2010/04/26

4月24日 備忘錄

東門路誇線橋:民國60年代
東門路誇線橋北邊的聚落:民國60年代
民權路圓環附近的聚落:民國50年代
民權路圓環-青年路:佛具店比較多
民權路圓環-青年路:廟也多
民權路圓環-青年路:擴寬路的關係很少看見以前的狀態。
不過能看到房屋拆掉後的房屋的線條
從那個線條可以研究之前房屋的規模
這個附近的小巷子幾乎直線的構成。
很少見S型等的路。

2010/04/23

晚上的散步 民權路


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研究目標 備忘錄

 およそ110年前の1896年、日本は台湾の統治を開始した。化外の地と言われた台湾を清から割譲し、国土調査、都市計画をし、インフラストラクチャを整備し、教育を行き渡らせ今日の台湾の礎を築いた。その過程でその地に初めから住んでいた原住民、漢人との衝突を経て世界に恥ない植民地を築いていった。通常、植民地政策はその地に生産現場を作り搾取をして、植民地に住む人には如何なる投資を行わないのが通常である。そういう意味で台湾における植民地政策は稀に見る成功した例と言えるだろう。

 こう言った文章は日本の旅行ガイドブックやちょっとした台湾に関する書籍にはこう書かれていることだろう。確かに辺りを見渡すと特に台南、この地には当時の日本の建築物が残されている。戦後もしも、台湾の人々が本当に日本の事を良く思っていないのなら、今頃これらの建築物はすでに無くなっていたことだろう。台湾の人々は確かに日本人に対して本当に親切だ。当然全員とは言わないが、これほど友好的な国は無いのではないか。街を歩いていても、私の台湾国語の発音に違和感を覚えた台湾の人はすぐに私を日本人と見抜き、日本語を駆使して私に話しかける。今でもこうして日本語を自発的に使ってくれる、さらにこれほど流暢に話してくれるとは、以前この地に住み日本という国の形を台湾の人に伝えた日本人そして今でもそれを守ってくれている台湾の人にはに本当にありがたい事である。

 私は今年で台湾に来て満6年になる。大学生活をとおして台湾の事をもっと知りたいという気持ちが増えてきた。その間にこの地に関する資料に目を通し自分なりに観察し台湾に対しての見方が備わってきた。ただ、その見方が本当に正しいものなのであろうか?日本がこの地に造ったモノは確かに立派なものだっただろう。だけれどこれまで未だに見えないものが有った。それは清の時代から日本が統治を開始した時の過程、そしてそこに暮らす人々がどのように日本政府が作成した都市計画と当時生活していた街と適応させて暮らしていったこう言った部分に興味を持っていった。日本でも古い街区を新しい基準に基づいて街区整理を行う。街は整然とし安全、快適な生活を営むことを新しい都市計画から提供されたのだろう。ただ、以前にあった生活との関係を無視して都市を作るというのはそこに住む人には迷惑なだけであろう。人々が失うものと得るもののバランスを考慮して都市が造られたのだろうか?

 私は今回台南を観察するに当たり、当時の地図を準備した。地図にはその当時の人々の営みを記録する力を持っている。文章と違い作者というフィルターが介在しない。当時の現況をあるがままに写すのが地図である。従い、私の観察方法には地図を重視し、書籍を重視しない。当時のあるがままの都市形状を自らの頭に入れ、観察、記録をしてひとつの成果を納めようと考えている。地図から見えてくる当時の都市計画の過程、そして現在の街の形。これらを一つ一つ丁寧に記録していこうと思う。そこに住む人々の記録を収めることがことが出来れば、一つの成功と捉えようと思う。ひとりでどれだけの成果を作ることが出来るのか不安ではあるが、楽しみでもある。

1929年時台南市的表情

1924年時台南市的表情

1915年時台南市的表情